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国立大学法人群馬大学情報学部・情報学研究科
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教員紹介

伊藤 賢一教授

伊藤 賢一
専門分野

理論社会学,情報社会論

経歴

出身地: 山形県
最終学歴/学位: 東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了/博士(社会学)
職歴: 信州大学人文学部助手を経て2001年より群馬大学社会情報学部講師,2003年同助教授,2013年同教授

■ 個人ページ:http://www.si.gunma-u.ac.jp/~itoken

研究概要

(高度)情報社会とは何なのか,よりよい情報社会をつくるにはどうしたらよいのか,そもそもよりよい社会とは何なのか,といったことについて社会学や社会情報学の道具を使って探求している。

研究内容

  • 情報化の進展と社会変容に関する社会(学)理論の探求
  • 社会(学)理論の学説研究,社会学史
  • 青少年のインターネット利用におけるリスクとその対策

代表的な研究業績

・豊泉周治・鈴木宗徳・伊藤賢一・出口剛司著, 『〈私〉をひらく社会学 ― 若者のための社会学入門』, 大月書店, 2014.
・「小中学生におけるインターネット依存をもたらす諸要因 ― 群馬県前橋市における追跡調査に基づいて ―」『群馬大学社会情報学部研究論集』, 第26巻, 2019, pp. 1-14.
・「批判理論としての社会的加速化論 ― ローザ理論の射程」『社会学史研究』, 第38巻, 2016, pp. 25-40.

専攻分野・研究内容紹介

自分の生きている社会を外側から見る

社会学という学問に触れ,その面白さにとりつかれたのは,大学の一般教養科目で見田宗介先生の社会学の講義を受けたときです。教科書に指定された本は,学術書にほとんど触れたことのない大学の新入生には歯が立たない類の本で,何度読んでみてもまったく内容が頭に入ってきませんでした。それでも頑張って5ページ読んでは居眠り,といったことを繰り返していたと思います。
そのように難しい授業だったにもかかわらず社会学に惹かれたのは,自分達の生きている社会・世界を外側から見る,ということが新鮮で面白かったからだと思います。もちろん,大学の教室の中で日本語で考えているわけですから,厳密な意味で「外側から」見ることにはならないわけですが,それでも自分が解釈しているのとは違う可能性を見いだす,ということは当時の大学生の私には心踊る体験でした。
いろいろ発見のあった授業でしたが,たしか「目標を持って生きる」という生き方は人を不幸にするものでもある,というようなことを聞いたときは,とくに衝撃が大きかったと思います。それだけナイーブな学生だったということなのですが,たとえば,大学受験が控えているとき,多くの受験生は大学に入学したら「本当の」生活や幸福が待っていると思って,いろいろなことを我慢して受験勉強をしています。ところが,いざ大学に入ってみると,教養課程の間は専門の「本当の」勉強の準備を求められ,専門課程に進むと卒論や就職のための準備を求められ,就職した後も,近い将来の会議・交渉・昇進・試験…等々ために何かしら準備しておくことを求められるのです。このように,一般には推奨されているはずの,「将来の目標のために現在の欲求を我慢する」という生き方は,それだけ人々の現在の生活を貧しくしていることになるのではないか,近代社会とはこのような傾向をますます強めている社会なのではないか,というような趣旨だったかと思います。かといって,われわれの多くは「目標のために努力する」ことを止めるわけにはいかないのですが,この授業を受けたときには,ものごとにはさまざまな見方がある,ということを実感しました。

高度情報社会のメカニズムを探る

専門課程に進んでからは,前よりは学術書も読めるようになっていましたが,外国の有名な社会学者が書いた理論書は日本語訳で読んでもなかなか難解で,友人と読書会をつくって輪読していました。おぼろげながら何を言っているのか分かった(と思った)時は,とても嬉しかったのを覚えています〔群馬大学の学生諸君も,一人では読めないような本を友人と一緒に読んで議論するような読書会のような活動を,もっとしてもいいのではないでしょうか〕。
実は学部生のときに友人と読んだのがドイツの社会学者・ハーバマスの『コミュニケーション的行為の理論』で,その後,博士論文でもこれと取り組み,今でも授業で何度も取り上げています。ハーバマスのどこが面白いのかを人に分かりやすく伝えるのは難しいのですが,当時の私は,学生達や社会に広がっていた安易な相対主義(人によって価値観は違うのだから,他人のことには口を出すな,というような考え方)に対する憤りのようなものを感じていて,彼の議論が相対主義に対する反論の基礎を与えてくれるように感じていたのだと思います。彼のいうコミュニケーションは,通常考えられるようなコミュニケーションとは少し違っていて,学術的な議論や,価値・道徳をめぐる討論といったものを想定しています。このような,議論や討論の局面における「合理性」というものがありうるのではないか,という発想はとても新鮮でした。彼のいう「公共圏」や「コミュニケーション的合理性」という考え方は,現在の高度情報社会を考える上でも重要なヒントになりうる,と思っています。
社会学の理論は,このように抽象的・観念的で,日常の生活とはあまり関係のない話に聞こえることも多いのですが,逆に「日常とは関係のない外部」から見た方が,問題がよく見えることもあるものです。


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