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国立大学法人群馬大学情報学部・情報学研究科
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教員紹介

井門 亮教授

井門 亮
専門分野

言語学、語用論

経歴

学習院大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学(1998年3月)
群馬大学社会情報学部講師(2001年4月~2003年11月)
群馬大学社会情報学部助教授(2003年12月~2007年3月)
群馬大学社会情報学部准教授(2007年4月~2021年3月)
群馬県立女子大学非常勤講師(2007年4月~現在)
群馬大学情報学部教授(2021年4月~現在)

■ 個人ページ:http://www.si.gunma-u.ac.jp/~ryoido

研究概要

話し手が発したことばを聞き手はどのように解釈しているのだろうか、という疑問をもとに、コミュニケーション・発話解釈の仕組みや、ことばの意味について語用論を中心とした言語学的観点から研究をしている。

研究内容

  • 語用論の観点からのコミュニケーション分析
  • 文脈を考慮に入れた言語表現の解釈に関する研究
  • 人間の発話解釈のメカニズムに関する認知的研究

研究テーマ

話し手が発したことばを聞き手はどのように解釈しているのだろうか、という疑問をもとに、コミュニケーション・発話解釈の仕組みや、ことばの意味について語用論を中心とした言語学的観点から研究をしている。
・語用論の観点からのコミュニケーション分析
・文脈を考慮に入れた言語表現の解釈に関する研究
・人間の発話解釈のメカニズムに関する認知的研究

代表的な研究業績

井門 亮 (2020)「関連性理論」加藤 重広・澤田 淳 (編)『はじめての語用論:基礎から応用まで』109-124, 東京:研究社.
井門 亮 (2017)「多義語の分析と語用論」中野 弘三 (編)『語はなぜ多義になるのか:コンテキストの作用を考える』106-127, 東京:朝倉書店.
今井 邦彦 (監訳) 岡田 聡宏・井門 亮・松崎 由貴・古牧 久典 (訳) (2014)『語用論キーターム事典』東京:開拓社.
今井 邦彦 (編) 井門 亮・岡田 聡宏・松崎 由貴・古牧 久典・新井 恭子 (訳) (2009)『最新語用論入門12章』東京:大修館書店.

専攻分野・研究内容紹介

言語学とは

「言語学」と聞いて、どのような学問領域を思い浮かべますか。「言語」と言うからには、ことばに関連した研究をするのだろうということは容易に想像できるのではないかと思いますが、具体的にどういったことを研究しているのか、はっきりとイメージできる人は少ないのではないでしょうか。もしかすると、何ヶ国語も自由に使うことができるように色々な外国語を勉強したり、英語や日本語などの文法規則を調べ、規範的な言語使用を研究したりするのが言語学だと思っている人もいるかもしれません。

言語学は、ある言語を学び、その言語を運用できるようになることを目指す、いわゆる「語学」とは違います。もちろん色々な言語を学習してマスターすることはとても価値のあることですが、(残念ながら?)それは言語学の直接的な目標ではありません。言語学とは、言語の本質を科学的・客観的に分析し、人間だけが生得的に持っている「言語に関する能力」の解明に取り組む学問領域なのです。研究対象によって言語学は、音韻論、統語論、意味論など様々な分野に分けられますが、私が専門にしているのは「語用論」と呼ばれる分野です。

語用論とは

普段の会話において私たちは、あるメッセージをことばにしないで伝えようとしてみたり、相手の発話から、ことばにされていないメッセージを読み取ったりしています。「語用論」とは、そういったコミュニケーション・発話解釈の仕組みや、ことばによって伝達される意味について研究する分野です。
はじめに次の文 (1) の意味を考えてみましょう。

(1) これはかえないな。

日本語が理解できるなら、(1) の「これ」は「何か物や事」を指し、「かえない」は「買えない/飼えない/変えない/替えない」などのいずれかの意味であるということは簡単に分かるはずです。しかし、「これ」が具体的に何を指していて、「かえない」が複数の意味のうちのどの意味で使われているのかは、この文を見ただけでは判断のしようがないでしょう。

それでは (1) に対して (2) や (3) の文脈が与えられたらどうでしょうか。

(2) 文脈ⅰ:息子の太郎が10万円もする自転車をねだっている。
(3) 文脈ⅱ:娘の花子が子猫を拾ってきた。

そうすると、(2) の文脈では「10万円の自転車」を「買えない」、(3) では「子猫」を「飼えない」と (1) の話し手は言っているのだとすぐに理解できます。さらに、(2) では「もっと安いのにしなさい」、(3) では「拾った所に戻してきなさい」といったことも暗に伝えているのではないかと想像できるでしょう。またこれが実際の発話であれば、声の調子や表情などから、「10万円の自転車は買えないと困っている」、「子猫を飼えなくてすまないと思っている」のような話し手の気持ちまで読み取れるかもしれません。

この例からも明らかなように、実際の会話で用いられることばが、話し手の伝えたいことをすべて言い尽くしているということはほとんどありません。つまり、話し手の意図という観点からすれば、発話が言語的に記号化する意味は非常に不十分なものでしかないのです。しかし、(2, 3) のような文脈が与えられると、私たちは話し手の意図した意味を自然に解釈することができるのです。

それでは、私たちはどのようにして話し手が伝えようとしたメッセージを把握しているのでしょうか。直観的にも、相手のことばや文脈から好き勝手に推測しているのではなく、発話解釈の根底には何らかの原理が働いていると考えられるでしょう。語用論は、そういった発話が解釈される過程と、その過程を支配している原理の解明を目指しています。言い換えれば、不十分な情報しか記号化していない発話から、聞き手はどのように話し手の意図した意味を推論しているのかを説明しようとしているのです。そして、私たちがコミュニケーションを行う際には、文法や単語の意味といった言語的知識に加え、発話の状況や聞き手の持つ想定といった非言語的知識や、人間の持つ認知的な能力を用いているということを、具体的な言語事象の分析を通して明らかにしています。

ことばについて考える

ことばは、私たちにとって空気のように非常に身近なものなので、日常生活において、ことばについて考えるということはほとんどないでしょう。また、私たちは普段から当たり前のようにことばを用いてコミュニケーションを行っていますので、ことばについて研究していると言うと、「なんだ、そんな当たり前のことを研究しているのか」と思われるかもしれません。しかし、当たり前のように思える事象こそ論理的に説明するのが難しく、その中に興味深い研究課題が埋もれていることもあるのです。


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