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国立大学法人群馬大学情報学部・情報学研究科
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教員紹介

高井 ゆと里准教授

高井 ゆと里
専門分野

西洋哲学、生命倫理学

経歴

最終学歴/学位: 東京大学/博士(文学)
研究室:3号館307
所属学会:日本現象学会、日本倫理学会、日本哲学会、日本生命倫理学会、GID学会
専門分野:西洋哲学・倫理学、生命倫理学、
担当科目:情報社会と倫理、現代倫理学、現代科学哲学

研究概要

現代ドイツ哲学を中心に、西洋哲学の歴史を研究しています。他にも、新しい医療を研究するとき、どのように被験者を守るか、という研究倫理も研究しています。

研究内容

  • 西洋哲学史上の古典の解釈研究

  • 規範倫理を中心とした現代倫理学

  • 研究倫理をはじめとする生命倫理学

現在の研究テーマ

  • ハイデガー『存在と時間』の統一的読解
  • その他西洋哲学史一般
  • 研究倫理のフレームワークの刷新

代表的研究業績

・『極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる』(講談社:2022年)

Integrity of Scientific Research: Fraud, Misconduct and Fake News in the Academic, Medical and Social Environment(共著)(Springer:2022年)

専攻分野・研究内容紹介

哲学研究者としてのはじまり

 18歳で大学に入学したとき、大きな大きな大学図書館の書架を前にして、「この世の全てについて考えられる」と思って胸が高鳴りました。そこには数えきれないほどの本が、様々な言語で書かれた本があって、もう学びたいことは何でも学べると思ったのです。

 そんな巨大な図書館のなかで、わたしはすぐに哲学の棚に惹きつけられていきました。なぜ悪いことをしてはいけないのだろう。人間が生きているとはどういうことだろう。「知っている」と「知らない」の違いはどこにあるだろう。言葉が意味を持つとはどのようなことだろう。正しい政治とは…。そうした哲学の問いは、窒息しそうなほど退屈だった地元での生活に対する反動のように、わたしを知の自由へといざなってくれました。

 しかし、哲学を真剣に学ぼうとして、すぐに壁に突き当たります。本に何が書かれているのか分からないのです。難しくて、さっぱり意味が分かりませんでした。そんなとき助けになったのは、当たり前ですが大学の先生でした。そして、その教え子である大学院生たち。わたしはそんな研究者の先輩たちの背中を追って、難しくてまるで意味の分からない哲学書をゆっくり読んで、解釈して、思考する、というトレーニングを積むことになります。

 博士論文では、20世紀ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーという人物が書いた『存在と時間』という大著をひたすら前から解釈する、という研究をまとめました。呪文のような文章を読み解いて、現代の私たちでも理解できるかたちで説明し、ハイデガーがどんなことを考え、どんな風に世界の謎を解き明かそうとしていたのか、追体験するのです。

 

哲学を学ぶ意味

 そんな哲学の研究がなんの役に立ちますか?と聞かれることがあります。わたしは答えます。「これが何の役に立つのかを決めるのは、あなたではない。そして、わたしでもない。それを決めるのは、数十年後、数百年後、場合によっては数千年後の人びとです」と。

 私たちの思考は、時代の状況によって大きく制約されています。そんな、つまらない制約を課せられた私たちが、いくら頭をひねって「こんな難しい本を読む価値がどこにあるのか」と問うたところで、たかが知れています。なんといっても、私たちが相手にしているのは、百年前、数百年前、あるいは数千年前に書かれた哲学の古典なのですから。

 もちろん、難しい哲学書を読むことで見えてくる世界はあります。現代人にとっても目を開かせる洞察はあります。しかし、西洋哲学の歴史を研究するわたしの思いは少し違います。わたしは、これらの難解な哲学書を誰も読めなくなる世界よりも、誰かが読み継いでいる世界に住みたいのです。哲学の古典を研究するとはそういうことです。いつか現代や未来の誰かが、自分たちの生きている時代の制約を少しでも相対化して、大きな視点で世界について問い返そうとしたとき、その一助となるような研究を継承するのが、わたしの仕事です。

 

研究倫理学

 そんな世捨て人のようなわたしですが、哲学の歴史の研究以外にも、もう1つ専門領域があります。それが「研究倫理学」(research ethics)です。新型コロナウイルスに対するワクチンの開発にみられるように、医学の研究はわたしたちの生活を大きく向上させることがあります。もちろん、それぞれの病気に対する治療法の研究がうまくいけば、それぞれの患者さんたちの生活を変えることができます。

 しかし、そうして医療が進歩するためには、どこかで誰かが、医学の研究の「実験台」にならなければなりません。そんな、ひどい、と思うかもしれませんが、それは避けられないことです。飲み薬を開発するためには、最後は実際に病気の患者さんにその飲み薬を投与して、本当に効くかどうか、そして安全かどうか、確かめる必要があるでしょう。

 そうして、誰かが「被験者」として医学の研究にかかわらなければならない以上、「被験者の保護」が大切になります。医学の専門家たちには、社会の中で弱い立場にある人たちを無理やり研究に参加させて、ひどい扱いをしてきた歴史があります。そんな歴史を反省し、被験者となる人々をどのように守るのか、ということを考えることからスタートしたのが、「研究倫理学」です。

 わたしは、研究倫理学の専門家として、いろいろな理論を組んだり、概念を整えたりする研究をしています。もちろん、ただの「被験者保護」だけが研究倫理ではありません。世の中で、誰が、どのように、どんな研究をしていくのが正しいのか、そうした大きな視点で医学の研究を考えるということも、わたしの重要な専門の一部です。


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